中国出身(日本帰化)の彼は学生時代から「自分の力で仕事をする」という決意がありました。
「自分の力で」といっても、「一人で全部やる」のではなく、「仕事を任せる人材も自分で探す」ということらしい。
どうやら末っ子で育った環境から、「親兄弟の手は絶対借りない」という思いが根底にあったようです。

ただ、「何かが得意」とか「これをしたい」というものが無かったので、常にチャンスを求めて「探す」ことに邁進します。
中国では難関といわれる大学に入ったにも関わらず、自主退学をして日本に留学したのもそんな思いからだったのでしょう。

面白いエピソードを聞きました。
大学3年生の就職活動で、貿易の仕事に就きたいと、単独で大手商社に飛び込み、「自分はここで働きたいので、入社させてください」と直談判。
「日本では、こんな飛び込みでの就職活動は認めてない」と断られたそうですが、そんなことは承知の上での行動。
受付で粘って、ついに就職担当者を呼んでもらいます。
ところが、自分をいかにアピールできるかと身構えていた彼の話は一切聞いてもらえず、「弊社は学業成績が1番か2番の人しか採用しません」と一刀両断に断られてしまったそうです。

そんな経験から「人を見ないで成績だけを基準にするような会社に入っても、自分らしい仕事はできない」むしろ、「どんな仕事をさせてもらえるのか?」「自分の力を試す環境があるか?」が大事だと、その後の就職活動を方向転換します。

そして最終的に就職先に選んだのはITベンチャーでした。
コンピューターの知識は殆んどありませんでしたが、そこに起業のチャンスを見出したのでしょう。

「チャンスが来た時にすぐに行動が起こせるよう、常に準備をしておかなければならない」という思いで、日常の業務をこなしながら、常に広い視野でチャンスを伺っていたそうです。

起業のきっかけは、彼の古くからの知人が、中国のIT会社で社長に就任した事でした。

実は、「自分の力で仕事をする」という彼の信念は、その知人から植え付けられたものでした。
「あの人(その知人)と話をすると、だれもが起業しないといけないという気にさせられる」のだそうです。

直ぐに彼は行動を起こしました。

当時、日本ではIT技術者不足が深刻化しており、彼が勤める会社も人材を探していました。
そこで、中国の技術者を日本に呼べないか、知人に人材派遣の話を持ち掛けます。
「社員(中国の技術者)に日本での経験を積ませられる」との前向きな言葉を得られた彼は、社長を連れてすぐに中国に飛びました。

彼の仲介で話はまとまり、実現に向けて動き出します。
「会社が無いと手続きができなかった」ことから、双方の会社からの支援を受けて念願の会社設立を果たします。

「初めてのことだから、ビザの種類やそれぞれの条件や規定などの勉強とかで苦労した」「実は見切り発車だった」と海外からの人材派遣は簡単ではなかったようですが、「やるしかなかった」と日本と中国を奔走し実現させました。

こうして「自分のやるべき仕事を探しあて、自分の会社を持つ」という信念が実を結びました。

IT業界の環境の変化はすさまじいものがあります。
「当然顧客の要望も変化しているから大変でしょ?」と投げかけてみました。
「だから常に探してる!どこにでも行く」という言葉通り、探し物を求めて縦横無尽に駆け回っているそうである。

お客様から「こんな遠くまで大丈夫なんですか?」と心配されることもあるようですが、「人がいる場所なら、自分が行けない理由はないです」と意に介しません。
「実際、朝9時からの打合せに、早朝3時に車で出発なんてこともあるよ」と笑いながら話してくれました。

彼がこうして精力的に駆け回る理由は、こんな話で理解ができました。
「今探しているのは、2年後に花を咲かせるかもしれないタネで、このタネは咲かないかもしれない」
「でも、今やってる仕事も、ずっと前から準備していたからできたんだ」

彼のセールスポイントは、堪能な日本語と中国語、そして「探す」ためのフットワークの軽さに違いありません。